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「ビートルズなんてただの長髪のガキさ」? 2000-11-16


13日月曜日、ビートルズの米国盤のレコードを扱っていたレーベルの元社長が、ビートルズと契約をした当時、メンバー4人を「ただの長髪のガキ」とこき下ろしていた同僚がいた、と回想した。

1961年から1968年までキャピトル・レコードの社長を務めたアラン・リヴィングストン氏は、ビートルズのグレイテスト・ヒッツCD「1」のプライヴェートなリリース・パーティーに出席するため、ハリウッドにあるキャピトルのオフィスを訪ねた。

「1」は、1962年オリジナル録音の「ラヴ・ミー・ドゥー」から、1970年6月に米国で2週間チャート第1位にい続けた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」まで、米国及び英国でチャート・トップになった27のシングル全てを収録して、クリスマスに合わせて発売された。ビートルズは1970年12月31日に公式に解散した。

リヴィングストン氏はもう一歩のところで、ビートルズを拒絶した多くの人間の中の1人として歴史に埋もれてしまうところだった。ビートルズは、キャピトルをはじめRCAやデッカといったメジャーなレーベルに断られたあとで、最初のいくつかのシングルをVee-Jayやスワンなどの独立レーベルから発表している。

彼はロイターのインタヴューで、キャピトルのプロデューサーだった故デイヴ・デキスター氏が「やつらはただの長髪のガキだよ、問題にもならない。忘れよう。」 と彼に向かって言った、と語った。

ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインがリヴィングストン氏に電話をし、キャピトルに再考を求めるように請願され、リヴィングストンはビートルズの曲を聴いた。彼はそれを気に入り、当時としては高額である40000ドルを「アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド」のプロモーションに当てることを決め、それがビートルズの米国で最初のヒットとなったのだ。1964年の2月と3月にわたって、この曲は7週連続ナンバー1に輝いた。リヴィングストンの名声は確かなものとなった。

リヴィングストン氏はアルバム「イエスタディ...アンド・トゥデイ」を回収した際に、悪評を被ることとなった。それはビートルズが肉屋の白衣を着て、首を切り取られた人形と赤い肉片を周囲に飾ったもので、すぐに別の穏やかなカヴァーに差し替えられた。数千だけ存在するほぼ未使用の、ステレオのオリジナル「イエスタディ...アンド・トゥデイ」は、現在数千ドルで取引されている。













 

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