2000-06-01 ジョン・レノンの旧友がジョンのピアノをめぐって訴訟

亡くなった元ビートルズのメンバージョン・レノンの友人がニューヨーク美術学校を告訴した。1988年に自分が学校にジョンのピアノを貸したのだと彼は主張し、その返還を要求したのである。

問題は次の一点である。学校が160万ドルの大型グランド・ピアノを売却してしまったと彼が主張しているのだ。

ジョンとその妻ヨーコ・オノのかつての親しい友人であり、マンハッタンで美術品商をしているサム・グリーンは、裁判所に提出された書類によると、1979年にジョン夫妻から贈り物として同ピアノを譲り受けた。

このいきさつは、ある写真のコピーによって証明しようとされている。鍵盤の上にある小さな金属板の写真のコピーである。その小さな板には次のような文字が刻まれているように見える。「For Sam - Love From Yoko and John - 1979」

しかし状況を知っているある関係者の話によると、そのピアノはロンドンのソーホー・スクールで大掃除が行われる前後の時期に3000ドルで売られたという。ニューヨーク美術学校の関係者にコメントを求めたところ返事はなかった。

申し立てによるとグリーンはその学校の管理委員会のメンバーで、同ピアノを学校に貸したが、契約によって彼が要求すればいつでもそのピアノは彼のもとに戻ってくるようになっていたはずだという。「特定のイベントのために一定期間の使用が認められていただけなんです。」とグリーンの弁護士のマヘンドラ・ラムゴパルは言っている。「彼はピアノを貸せば学校の評判も上がるだろうと考えていたのです。」

しかしグリーンが最近返還を要求したところ、学校はそのピアノが見つけられなかったと弁護士のラムゴパルは言う。グリーンは他の筋からそのピアノがはした金で売り飛ばされたと聞いて愕然とした。

一方委員会の別のメンバー、美術品商のマーゴット・ゴードンは、グリーンの主張に反論する。彼女はグリーンが学校にピアノを譲ったのだと言うのである。

ラムゴパルは、もしピアノが返らないのであれば、グリーンは1600万ドルの損害賠償を要求すると述べている。その値段は6月にインターネットで競り落とされるであろうジョンの他のピアノ ― 1971年にヒットした「イマジン」を作曲するのに使われたピアノ ― の値段である。

グリーンはファイアー・アイランドの自分の別荘にかつてジョンを何度も招待していた。ジョンは1980年に自宅のアパートの外で撃たれ亡くなった。彼が生前にしたためた遺書では、グリーンのことを、ヨーコがジョンよりも先に他界した場合の、息子ショーンの「保護者後継人」としている。

Lennon Pal Sues Art School Over Piano  From: News and Views | Scandal Sheet | Sunday, May 28, 2000

 

 

 

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